石垣イチゴと東照宮の久能海岸

ごせっぽい”
徳川家康は幼少の頃を静岡市(駿府)で人質として今川義元の居城である駿府城で過ごした。
そんな中、久能海岸にも訪れていたそうで、その穏やかな気候が気に入っていた。
将軍になってからは江戸城よりも駿府にいる時間の方が長かった位で、幼少の頃の思い出と共に久能にも度々足を運び、
久能山に登ってはは駿河湾と伊豆半島を眺めるのが好きだったという。
余り知られていないが静岡弁に「ごせっぽい」という言葉があるこれは家康が”世は静平であるな”と言った言葉が
御静平⇒ごせいへいっぽい⇒ごせっぽい
となり清々したという意味で使っている

穏やかな陽光を浴びる久能海岸 そもそも久能海岸でイチゴが作られ始めたのは1896年。最初は河原の石などで段々畑を作っていたところ、その隙間にイチゴの苗を植えたのが始まりとされる。戦後しばらくはこのような玉石の石垣をイチゴ専用に何段も重ねた傾斜地畑が続いていた。

その後、コンクリート製のイチゴの苗がへこみに入るような物に変わり、現在のハウス栽培へと続く。
玉石の段々畑は東向きの立地条件と前が駿河湾で日照時間が非常に長いこの地域の特徴を生かしたもので
後ろに急峻な山を控え北風から守られていることもあってイチゴ栽培には非常に適した土地である。
イチゴ狩りも盛んで現在70軒近い観光農園がある。
氏神様 久能山東照宮の役員も勤めていた萩原家には、その昔、源平の落ち武者を祭ったといわれる氏神様がイチゴ畑にある。この地方の人達は昔から歴史の中に暮らしていた
ちなみに萩原家は源氏姓だそうである。

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