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連載 テレビの裏側 Vol.001
〜ワイドショー的社会時評〜

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ライン

小泉・田中人気に乗って
 最近、政治がワイドショーの主要項目になった。どうも時代が変わってきたのかな?。
これも、小泉・田中真紀子人気のあらわれだ。そもそも、ワイドショーは政治を苦手としている

ワイドショーは政治が苦手 
 いや、苦手だった。なぜなら、視聴率が取れなかったからに他ならない。
私も25年前に政治を扱ったことがあったが、その当時はグラフがガクンと急降下したのを覚えている。
製作者サイドからは「社会的意義があるからやりたい」という意向はこの当時からあったのである。
そもそもワイドショーは世間の風当たりが強い。
やれ「ワイドショーだから…」「所詮ワイドショー」「ワイドショーは節操が無い」等など…。
社会的意義」なんぞとは無縁の世界のように思われている番組なのである。
もっとも製作者の中には視聴率至上主義が一番強く反映されるのがワイドショーと言う人も多い。

「テレビなんぞ視聴率が取れれば中身なんか…」という考え方が現実にあるのも事実である。
そもそも視聴率が良いということはそれだけ見てくれる人がいるということで、
見てくれる人がいなければ何をやっても、どんなメッセージを発信しても何の効果も無い。
民放という商業放送では”意義があるから放送する”のではなく、
”見てくれるから、放送する”のであって、人々をアジテーションするような番組はまず望めないし、望むべきでもない
ただ、現実を突きつけ視聴者に判断をゆだねるだけである。
そこには、まるで人情味の入り込む余地などなかったのがテレビの現実なのだ。
しかし、である。
 「ワイドショー」はそんなしがらみの中で唯一、人情味と言うテレビに似つかわしくない部分に触れてきた。
それが、リポーターと呼ばれる取材員の私的な感想に現れていたのである

ワイドショーは本音?
 悪(あく)を必ずしも悪(わる)としないといった取材した者のみが感じたものを一部なりとも表現できていたそして、その結果として起こった風当たりに実にしぶとく、のらりくらりと批判をかわしながら放送を続けてきていた。結果、放送が続いたことで、その時代、時代の世相を一番色濃く現してくることになった。
要は本音と建前があるとすればテレビ業界の中の本音の部分をワイドショーが担ってきていた様に思える。
どうも、世の中には下世話な話は下品で、知的で高邁な話が尊いと言う風潮がある。
人間が生きて生活する場にはそんなに高尚な話は無いものである。
そんな中で知的に、文化的に興味を持って生活をしている人は大勢いるわけで、
下世話な話の代表的なワイドショーは世の中の批判を受け続ける中で、
いかに、その興味を満足させながら下世話な話をするかに眼目が変わってきた。
その表れがコメンテーターだ。
それぞれの専門家をスタジオに招きコメントをもらう。そのことで、知的欲求を満足させようと見せる。
 製作者側からすると必要なことを”学術的に”語ってくれる人物を探すのが一番の大仕事になってきた。
しかし、このことでワイドショーの特徴であった私的な表現はだんだんと無くなって来つつある。
経験と知識はあっても取材現場に出ない人々による番組から生まれ出る危険性に付いてはまた次の機会に譲ろう。


 これまで、ワイドショーが[政治」を扱ったものでは、
「消費税導入」。これは視聴者=消費者の図式で、はじめて身近な政治問題なのであった。
当然、反応も強く、ワイドショーには珍しく真っ当な取り上げ方をしたと記憶している。
それに続く選挙も取り上げたがこちらの反応はそれほど強くなかった記憶がある。
まだまだ、政治に声が届くとは誰も思っていなかったのだ。
 その他では、「畑恵議員の国会スキャンダル」…これは”芸能ネタ”でしたね、
不倫と結婚、そこには国会議員としてではない素の個人が図らずも現れていたと思います。
その後、汚職やら事件やらを徐々に扱うようになったがあくまでもサブ的な扱い…社会的意義に答える…的なものだった。
それが今回は堂々とメインの項目に国会問題が取り上げられている。
これは、小泉総理・田中真紀子外務大臣の個人的魅力なのか、それとも社会現象なのか…。
真紀子さん 
 田中真紀子さんは私の関係した放送の中では
初当選の時の地元選挙戦に密着した。う〜ん!芸能人扱いに近かったな。
当時からから父親である角栄さんの性格を継いだようなはっきりした物言い、と態度で注目の的でした。
元々地元では老若男女問わずに人気があった。
ワイドショーとしては、となりのおばさんが出馬したような親近感が最初からあったのです。
”嫌なことは嫌”と言う代わりに「いいよ」と言えばすぐ近くまで寄って取材できる。
個人的なこともポロッと聞けるような政治家はそれまでいなかったような気がします。
最初から「ワイドショー」だからといって軽んじることが無かったように思い出します。
これがマスコミに広く受け入れられる事にも通じたのでしょう。
 確かに、自分の言葉と自分の考えを前面に押し出す方ですので、
言い過ぎや考え不足と言われるところはあるでしょう。
そこには仕組みや手続きを飛び越えてしまうような危険性と落とし穴を持ってはいると思います。
でも、その考えの基礎が、一般人の疑問や不満に基づいているのなら私たちは
やり方よりも、もっと大事なことを注目する必要があるのでしょう。
 昨今の外務委員会のやり取りはなぜか程度の悪いワイドショーのようですね。
内幕暴露物のようで見ている限りは面白いのですが、ワイドショーならもっと本質を追及するのになあ〜、
ワイドショー以下になっていますよ。
鈴木さんの”俺じゃない!!”に1時間もかけるのはやりすぎじゃないですか?
で、そう言ったら三権分立を犯す発言だと…。
それはそうですね大臣が相談した相手が外務委員長となると圧力を掛けたと取られてもしょうがない…
う〜ん大変な職務に就いちゃった。
良くも悪くも目立つ人は揚げ足を取られるもんですよ真紀子さん。
外務委員長だって”お気持ちはわかりますが立場がありますから、これ以上のお話は問題になりますよ”
なんてやんわり諭してくれれば問題にもならなかったんだろうけどね。
問題にしたがっている人が周りに山といるということなんでしょう。
そして、「真紀子降ろし」とも思える見え見えの情報漏洩…何を考えているのかな?
陰謀を巡らすならもっと上手くやるだろうに!
あの程度の画策しか出来ないとすると官僚の外交手腕は無いに等しい。
裏から手をまわすのも汚いけれど外交の場ではあるものでしょう。
力と力の”戦場”なのだから。それでも政治主導で今までの実権を手放すのはいやだ。
既得権利は手放さないと言っているわけだから外務省全体に自分の実力と能力の誤認と思い上がりを証明した格好だ。
真紀子さんも就任当初からそう思ったのだろう、ずっと官僚批判を続けているのは。
もっとも、批判しなければ改革目的も判らなくなるか…。
まあ、人事の問題も”私が承認してからにして”と言ったのに、
慣例ですからと発行しちゃうなんてのは元々官僚の思い違いの最たるものなのだから、怒っても当然だ。
私なら首にしちゃうところだ。それも出来ないのは真紀子さんも悔しいだろうね。
機密費にしても外務委員会での追求はなんと生ぬるいことか!何も本質に迫れない。
外務大臣がその本質と全貌を暴こうとしてまだ出来ないといっているのだから
特別調査委員会を作って、その調査を外部組織に全権を委ねて解明すればいいことではないのでしょうか?
それで大臣の仕事を少し減らしてやるなんて気持ちは無いのでしょうかね。
外務省の調査なんて元々お手盛り調査なんだから。
小泉さんは自民党を変えると言っているけれど、どうも、野党は変われないようで、
批判や反対をしなければならないと思い込んでいるようだ。
意見や見解の相違、政策論争で丁々発止とやりあう場面にはとんとお目にかからない。
自分の意見を述べるだけだったり、妙なお追従をいってみたり。あれが「党首討論」なんですか?
自分の言葉でわかりやすく」はたしかにワイドショーの基本です。
どんなことがらも噛み砕いて身近な問題として取り上げるのが少し前までのワイドショーの良いところだった。
一国の首相がそこまで国民に近づいたのなら、野党も近づいて臨機応変に遣り合って欲しいものです。
その為にはお題目だけでない知識と見識が必要になりますけれどね。
今ワイドショーが毎日のように”政治”を取り上げているのは
実は視聴者の興味がそこにあるからに過ぎません。
そう、ワイドショーの本質は変わらないのです。その方法論が変わるだけで!。

最初はこのくらいにしておきます。この次からは「なぜ?なぜ?ワイドショー」、「そう言えばこんなことも!」、「仰天事件簿」「ワイドショーな人々」などを順次書いてゆきます。27年もの経験があるとネタには困らないのです

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